自分の人生の中で重要な原動力は、何かに対して「憧れ」を持つことだと思います。
今思うと、少年期から好んでいた世界のイメージは、漠然とですがヨーロッパ的なものでした。
きっと、アニメや映画の中の風景を観続けていたせいもあるかもしれませんが、
自分の生活圏の中に存在しない、独特な美しいデザインに惹かれていたのだとおもいます。
30代になって思い返すと、そのヨーロッパ的なイメージは殆どが「フランス」のものだったことに気付くことがありました。
絵画、音楽、文学、ファッション、映画・・・。
無意識の内に共通のイメージを好んで選んでいたのは、なんだか不思議なものです。
しかし、考えてみればすごく当然なことなのかもしれません。
歴史的にみてもフランスという国はヨーロッパの文化的な中心地。
各国からアートやものづくりを志す人達が「憧れ」を抱いて自然と集まってくる国です。
最高の作品たちがフランスを起点として世界に広がるのは当たり前かもしれません。
それにしても、実際にフランスに旅行へ行った時の感動的な感覚は忘れることができません。
フランスへの憧れを抱いていた理由もなんとなく理解できた気もします。
それは「文化」を作り出す土壌のようなものだったとおもいます。
その土地の太陽の光、風の質感、空気の匂い、聞こえる音や言葉、土地に根付く信仰・・・。
彼らに日常生活とアートとの境界線があるようにはどうしても思えませんでした。
光や空気のように当たり前に存在するものを刹那的に切り出して楽しんでいる。そんな気がします。
生きている事自体がアートなのでは?とおもうくらいでした。
皆楽しそうで幸せそう。
考えてみれば、昔の日本にも似たような考えがあったのではないでしょうか。
全てのものに神性が宿るという信仰。
かつての日本も自然と人間は限りなく近く、共存し合う世界だったはずです。
畏れを感じながらも、美しいものと同調したい原始的な欲求。
具体的な美意識の表し方はヨーロッパと日本とで違いますが、根本的な部分ではきっと同じようなものなのではないでしょうか?
それが現代でも自然と続いているヨーロッパと、かなり廃れてしまった日本のことを思って、なんだか複雑な気持ちになったものです。
きっと今の日本には無い、文化が自然と生まれ育っていく環境に対して、漠然と憧れを持っていたのかもしれません。
現代の日本が文化的に劣っているとは思いませんが、大切な何かを失ってしまっているのは確実だと思います。
その旅行をきっかけに自分が日本人であることを強く感じはしたのですが、
やはり強く憧れを抱くのはヨーロッパ的な美のイメージであることに変わりません。
日本的な内的な美意識ももちろん尊敬していますし、理解したい願望があるのは事実ですが、
しかし、それよりも今の僕の頭に焼き付いているのは、フランスの人たちがアートのなかで楽しく美しく幸せそうに暮らしている光景です。
それは僕が少年時代に思い描いた美しい世界そのものでした。
自分とは全く違う、とても遠く、はるか彼方にあるものだからこそ、感動し、強く惹かれてしまう・・・。
それはたぶんこの先も憧れ続ける世界なのだとおもいます。
その憧れの世界のイメージがあるからこそ、何かを作り続けていけるのかもしれません。